呼び鈴
本日も老々介護の家へ。
本当は体力もたないから、休みあける前日には行きたくない。だけど先週から多分風邪のせいで発作が起きて、土日もグッタリ寝込んでいたので動けなかった。
連休(だってことに気付いてないとか…💧)のお陰で今日行ってきたんですけどね。
伯母は声が出ないと訴え、伯父は耳が遠い。
会話にならない老夫婦…
伯母が合図をしても、伯父に届かなかったり。
という訳で、呼び鈴を作ってみました。
玄関のベルは無理なので、100均で買ってきた鈴を根付に8個、丸カンでつなぐ。
見た目金色の葡萄のように。
さすがにこれだけ付けとけば、伯父さんでも聞こえるでしょ…( ̄▽ ̄;)
伯母に振ってもらって、伯父が聞こえるか確認。
伯父にしてみると、伯母は注文の多い人だからその度に呼ばれるのは大変かも知れないけれど。
自分で面倒見切れると言って、ケアマネさんとかも危惧しているけれど自宅介護を選んだ。
言い出したからにはやらせてみる。(一応施設の入所も確保しているからダメならさっさと諦めて欲しい)。
母方の親族はクリスチャンなんだけど、みんな言ってることがヘン。
クリスチャンの悪いところが全部出てるじゃん、と私は思う。
何でも神様に任せるさ〜、という。
神様の奇跡をあてにする。
…私に言わせると努力もしない人に神様が手を貸すか!と言いたいところ。
病気になってもクスリに頼りすぎてはいけないとか、処方されたクスリもキチンと飲まない、使わない。
そして信仰が強ければ神様が助けてくれる、とか言うの。
横で聞いてたら本当に腹がたつ。
世の中に薬学があるのは神様が役立つと思ったから存在するのだ。
神様信じてなぜ医学・薬学を信じない?
医学・薬学って、修道院でのハーブ園などから始まったのだ。
世の中にあるものが神様の意志だと言うなら、神様が作ったものを信じないのは、神様の否定だと思う。
神様に任せてるんじゃなくて、私たちは何もしないで神様待ってます、って態度は全部神様のせいにしちゃってるんじゃないか。
病気になったのも神様から試練が与えられたから。直す努力しないくせに、治らなかったのは神様の思し召し。
何でも神様原因って、聞いてると本当ふざけるなって喉元まで毎日出かかる。
聖書には努力しなさいとか、人の努力の物語があれほどあるのに、それが何故わからんのか…