慰霊の日
ここ数年、正午の黙祷もあっ!て言ってたんだけれど、今日も体調優れず、ハッとしたらお昼過ぎてた。ガーン。
時間ズレでも、祈りを込めて、黙祷。
先日、私の現住所の近くでの戦争体験を語られたお爺さんのお話が出てました。
映画のハクソー・リッジの近くなんですよ。
正直、沖縄県民には評判今ひとつで、ちょっと観る気になれずにいる作品。戦争の悲惨さ描くより、勿論戦場の狂気の中で武器を持たなかった、のは凄いかも知れないが余りに英雄視が強過ぎる、ってね。
しかし公開直後は、この戦闘に参加したアメリカ兵家族が観光に来るのが増えた。
観光に来た人たちは、何を思ったんだろうか…
周辺には、私の知っている限りで十数年前まで、戦争当時の弾痕が残るコンクリ壁とか、ちょいちょい残っていた。
慰霊の日、と言うと南部の平和の礎ばかりが映る。
故太田先生の理念?企画?で成し遂げられた。
凄い事だと思います。
だって、敵味方国籍関係なく、戦没者の名を刻んで、こんなに多くの人が亡くなったんだ、と意識させる場所。
もちろん、長崎・広島の戦災で亡くなった人たちを悼む場所もあるけれど、人々の個人の名前って確か書類に納められているんでしたっけ。
ひたすら、黙々と何処の村の誰が亡くなったと名前が羅列される様は、異質な、戦死者を悼む場所になっている。
かなりの数で身元の判明していない遺骨も多く、慰霊の塔に納められているので、もはや壮大な墓標なのです。
摩文仁が選ばれているのは、日本軍の最後の拠点があったから。
牛島中将が自決した日を慰霊の日と設定したそうです。
けれど…
実際、戦闘に巻き込まれたのは、そこだけじゃない。
余り平和の礎ばかり映ると、知らない人はそこだけが戦地だったと思ってしまうんじゃないだろうか?
で、じゃあ沖縄の地での司令官自決だと、普通ハイ戦争終わり、なイメージですが。
実の所、最後の命令は 『最後まで敢闘し、悠久の大義に生くべし』だったそうなので、戦闘は6月に終わっていない。実は終戦記念日の更に後9月まで。
https://battle-of-okinawa.hatenablog.com/entry/2019/08/10/112736
とにかく、戦争なんて本当に人類の生物的集団自殺なんじゃないかと思います。
その時点で生きてる人を殺し傷付け、その後も何かと争いの種になる…
普通、生物って生き延びるために進化したり変わっていくものなはずなんだけども。人類って何だろうね。