月とパタパタ織物、のち時々マニアック

愛猫「月」と、織物を中心に超絶多趣味を繰り広げながらの毎日です。この数年介護日記と化しているので、色々ご注意いただけると…

肺炎・経験談

実は、日本では毎年普通の肺炎で12万人近くが亡くなっている。

 

十年くらい前ですが、実は肺炎になった事があります。コロナじゃないけど。

ちょうど体調を崩して長期療養している頃で。

自宅にいたんだけど、まあとにかく怠い、息苦しい。

 

元々喘息持ちだし、小発作なんだろうと吸入薬をプシュプシュしながら、寝転がっておりました。

そのうち微熱。上がっても8度を超えない、政府の言ってる37.5度にも余りならない。だけど7度から下がらない。

それでも本当にヘロヘロだったので、2週間以上37.5度以上、なんてまず、自宅で過ごせないと思われる。それを家に居とけって、酷い話なんですよ。

 

ずっとダラダラ寝てるので、家族にも「ダラダラばっかりして、何なの⁉︎」とか言われ。

親父が肺ガン手術からまだ5年経ってなかったので、風邪なら部屋に引っ込んどれ!と言われてとにかく引きこもり。

 

流石に10日以上その調子で、母に救急に引っ張って行かれた。

特にゼーゼーも聞こえないし、風邪でしょう。3日しても様子が変わらなければまた来てください、と言われた。

特に点滴も血液検査もせず。

もう、この待ち時間もシンドイのに、だから発作時に病院なんか行きたくないんじゃー…

 

で、2日程してちょっと熱が上がる。

相変わらず呼吸はシンドイ、怠い、動きたくない。

で、熱が上がったのでやはり母に引っ張られて病院に。

違うお医者さんに当たりました。若い女医さんでした。

聴診器で聞いていたところ、顔をしかめて「なんだか喘息とは違う呼吸音がする」と血液検査とレントゲン。

で、レントゲン出来上がってきたらば。

「両肺、真っ白です。帰せませんけど」

とそのまま入院。

うとうとしながらも、シンドイので熟睡できない。数時間おきに抗生物質の点滴を換えに看護師さんが出入り。

寝てて良いよ、と言われたけど、人の気配するのに起きるわい。

そして、入院してずっと点滴してたら徐々に熱が上がった。

酸素チューブに繋がれて、結局2週間帰れませんでした。

スマホは持ってたけど、その病院周り電波状態が悪くて。テレビ見る気力は無いし、スマホでニュース見ようとしても電波繋がらないし。

お風呂の許可も出ないのよ。濡れタオルで拭き拭きしてました。

 

その2週間の最後辺りに誕生日がありまして。誕生日を病院で過ごすのは嫌じゃ、落ち着いてきたから帰してくれ!と頼んだのだけど、退院許可が出ず。

(T . T)

友人が見舞いに来てくれて、コーヒー差入してくれたのが本当に有り難かった。

退院してからも、まともに歩き回れるようになるのに更に2週間以上。

 

肺炎だからって、高熱出すとは限らないし、基本体力が落ちてる人はまず、発熱できない。

 

レントゲン真っ白になるくらいなのに、その2日くらい前のお医者さんは音もしないと言っていた。因みに、肺炎って入院した日に別のお医者さんも来たけど首傾げてた。

なので、多分あの女医さんに見て貰ってなかったら、肺炎見逃されていたはず…。

PCRの前に、まずレントゲンじゃないのかな。

呼吸器科の先生は耳の良い方に当たればラッキーです。

 

そして、私、月の看病やらで、体力落ちてるんだろうなあ。

この1週間程ずっと、呼吸が落ち着かないんですよ。

コロナじゃなくても、肺炎はやだなぁ。しかし、この状況であの時と似たような状況だったら、コロナどころか、やっぱり風邪ですねって家に帰される気がする。