慰霊の日 + 矛盾色々
今日は伯父の泌尿器科検査の日、でやはり2往復。
一週間抗生剤を飲んでも、炎症数値が変わっていない、むしろ悪化。
触診でシコリもあったらしい。
さて、今後どうなる、どうする?
一応、少しでも近い病院で今後診てもらえるように、紹介状ももらってきた。
厄介なのは、この伯父我々に頭痛い、アレが、コレが、と言うが、自分で一切病院に行こうとしない。
既に肺がんが見つかっていて、しかし心臓冠動脈に異常が見つかり、県内では手術できない、と判断されている。
80も過ぎていて、県外まで出て親戚もいない地で手術受けるより、歳だしそんなに急に進行しないだろうと手術拒否。
…と言えば理性的に見えるが、ここに「自分の信仰が試されている、祈れば治る」というのが加わるので、身内はイライラする。
で、シコリとなると転移も考えられる訳で、モヤモヤ。
ちょうど、沖縄は慰霊の日。
生きたくても生きられなかった命の一方で、生きてる人間がこんな姿勢って、失礼じゃないのか、とかね。
イライラモヤモヤ、でも200Kmの走破2日連続は疲労でちょっと何も考えたくない。
ラリー選手ってスゴイわ、と全く違う方向に頭が飛ぶ。
で、一度実家に戻り、本日慰霊の日と言うこともあって更に走る。往復で50キロ弱。
行き先は平和の礎。
毎年恒例の政治家発言で、ネトウヨフィーバーだが、阿保だなぁ。因みに極左の人も極右の人も御免被る。ネトウヨはありゃ別種。
アレな。右だ、左だ、とか言ってる人たち、極まってぐるっと回って、自分たちがやってることが同じだって気が付かないもんなのか?
面倒くさい事に巻き込まれるのは御免被りたいので、式典とか色々終わった時間帯に行くんです。
昼間は警備もあって、車が乗り入れできない、という事情もある。
平和の礎周辺は、元々鎮魂の碑が彼方此方にあった地域。東京・東北・北海道、などなど、とにかく全国から慣れない気候の沖縄(しかも真夏)へ送られて亡くなった人々の鎮魂を願う碑が各県ごとにあったりする。
平和の礎の画期的な点としては、戦争というものは基本的に不幸な事で、敵味方、どちらにも幸せをもたらしたものではないのだって事でしょう。
だから、戦争は無くしていこう、と後世に伝える、後世の為に願う碑。
な、はずだけど。
最近の騒ぎときたら、大事なそんな視点が溢れてる気がしてならない。
式典のスピーチがどうたらこうたら。
まともに聞けるのは中高生の平和に向けての朗読くらいだよ。
大人が一番ダメダメ。
という大きな不満もあれば、やっと行ってきた礎で、お墓のように重箱など持って拝んでいるおばあさん、アンド家族。
墓でもないのに、他の人もいるのに迷惑だ!とウガーッな親父。
…自分だって、幼くして亡くなったイトコたちへとお菓子やジュース持ってんじゃん。そしてデカイ花束とか。
主に、そのおばあさんの足が悪くて、敷物敷いて座っていたのが引っかかったのだと思いますが。
あんたもその内足腰悪くなって、座り込まないとお祈りできない時が来るんだが…?
祖父の名前が見つからない…と思っていたら立てかけられた他の人の花束で隠れていました。花束は横にして置いて欲しいな〜とは思うけど、置く行為、祈る行為は責められないと思うんだけど。
礎の近くには鎮魂の碑、というのがあります。こちらは碑だけでなく、集められた遺骨が眠っている。
このざっくりした名前がなぜか?というと、戦後遺骨が収集されても(70年経ってもまだ未収骨の場所も多数)、その遺骨の殆どがどこの誰か分からないから。
…つまり戦死した県民のどのくらいかは、墓に入っていない。収骨されているのかすらもわからない。
せめて、名前の刻まれた礎を墓のように拝む、祈るというのは当たり前に派生する事象だと思うんだよね。
…思うところは他にも色々あるけど、本日ここまで。
流石に疲れたよ。